大判例

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旭川地方裁判所 平成8年(ワ)104号 判決

原告

甲野太郎(仮名)(X1)

甲野花子(仮名)(X2)

右両名訴訟代理人弁護士

清水一史

被告

北海道(Y)

右代表者知事

堀達也

右訴訟代理人弁護士

山根喬

右訴訟復代理人弁護士

丸尾正美

右指定代理人

山田寿雄

浜口裕之

本間佳美

佐藤晴行

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第三 当裁判所の判断

一  裁判所が認定した事実経過

〔証拠略〕によれば、次のとおり、認めることができる。

1  一郎の家族構成

一郎は、本件高校在学当時、自衛官である父親の原告太郎、パート勤めをしている母親の原告花子とともに三人暮らしをしており、長姉はアメリカの大学へ、次姉はアメリカの高校へ、いずれも留学中であった(争いがない。)。

2  中学校二年生時の放火事件等

(一)  一郎は、中学校二年生当時の平成五年一一月の放火について、中学校三年生となっていた平成七年一月一三日、旭川家庭裁判所において、次のとおり非行事実を認定され、保護観察に付された(〔証拠略〕)。

「少年(※一郎)、B及びCは、同級生のDが、日ごろ、Bに対し暴力を振るうなど、いわゆるいじめ行為を続けることから、Dの家などに火を放って恨みを晴らそうと考え、共謀の上

1 平成五年一一月三日午前三時三〇分ころ、旭川市春光五区一条二丁目〔番地略〕所在のD方において、持参した漫画本の紙片や布片を同人方の周囲などに並べ、これらに、ポリタンク容器に入れて持参した灯油を染み込ませた上、ライターで点火した紙筒を利用するなどして灯油を燃え上がらせ、同人とその家族らが現に住居に使用する木造サイディング張り二階建住宅(一階床面積約一〇八・五四平方メートル)に火を放とうとしたが、同人らに発見されたため、サッシ戸の一部を焦がすに止まり、右住宅を焼毀するに至らず、

2 前記日時ころ、前記住宅に隣接する鉄製車庫内において、同車庫内に駐車中の鹿内梯三所有の普通乗用自動車の下部に漫画本の紙片を置いて灯油を染みこませた上、ライターで点火した紙筒を利用するなどして灯油を燃え上がらせて右自動車を炎上させた結果、同住宅等に延焼するおそれのある状態を生じさせ、公共の危険を生じさせた。」

右の放火の提案者はBであるが、一郎は、犯行現場において具体的な着火方法を考え出したり、Dの自宅だけでなく自動車への放火も提案するなど、重要な場面で主導的役割を果たしており、(〔証拠略〕)、取調官に対しても、「Dの家や車庫が燃えたと分かると、いい気味だと思いました。そして、Dや家族が焼け死んでもかまわないと思いました。放火したことについては特に感じたものはありません。ちょっと悪いことしたかなと思う程度です。本当にDは憎くて嫌な奴なのです(以上、〔証拠略〕)。犯行後、Bが、Dが死亡したことを想定して、中学校の机の上に『バラのっけるか。』と言ったのに対し、『バラでないべ。菊だべ。』と言ってやったのです。今でもDに対する気持ちは収まっていません。今でも、むかついた気持ちです(以上、〔証拠略〕)。Dのことなどが嫌で転校したいと何度も考えて、親にも話しましたが、我慢しなさいと言われて転校できませんでした(〔証拠略〕)。」旨供述していた。他方、一郎は、原告花子に対しては、火事の危険性を諭されると、びっくりした様子を見せ、原告花子の手を取りながら涙ぐんで、「お母さん、ごめんなさい。」と謝っており(〔証拠略〕)、母親に対する態度と、前記取調官に対する心情吐露との間で、極端な落差を見せていた。

また、右放火事件の検察官に対する少年事件送致書には、「少年(※一郎)は過去に非行、補導歴を有さないが悪友との交りを持ち喫煙経験も有する中学生である。少年の性格は自制心に欠け、怠惰でいくぶん暗い面が見受けられる。両親とも稼働しているため放任の嫌いがある。」旨が記載されていた(〔証拠略〕)。

(二)  このころの一郎は、しつけの厳しい原告花子から帰宅後に外出して遊ぶことを禁止されていたため、下校後も帰宅しないで直接友人宅等を訪れて遊んでおり、D宅には右各犯行後も遊びに行っていたが、Dの両親としては、火災保険によっても補填されなかった百数十万円の実損害のうち、三〇万円を見舞金として原告ら三家族から受領し、謝罪を受けたものの、一郎らからは謝罪の言葉を受けておらず、一家皆殺しにしてやろうと思って放火したという一郎が右放火後も自宅に遊びに来ていることについて、今後何か起こらなければよいがなという複雑な心境であった(〔証拠略〕)。

(三)  一郎は、中学校三年生の時、Bとともに、一学年下のEから約二万四〇〇〇円を恐喝するという事件を起こした(〔証拠略〕)。

3  中学校三年生時の学級通信における一郎の文章

中学校三年生であった一郎は、自分の誕生日を祝うための平成六年五月六日発行の学級通信において、次のように、死を意識した二つの文章を寄せており、(〔証拠略〕)、極めて個性的な内面的世界を有していることを窺わせていた。

(一)  「15歳になって少し大人になったような気がする。卒業したら、16歳になる。高校に入って、バイトして、金ためたらバイク買って、ツーリングしてみたい。それまで何とか、生きて見せる。それで、まだ死ななかったら、バイク専門の工場で働く。それでも、まだ、死ななかったら、また、バイクで遊んで、それでたぶん事故って、病院送りになるだろうけど、まだまだ、生きてやる!」

(二)  「宇宙(そら)を失う時間(とき)

耳をすまして鳥のなき声を間く。『動物はこの地球上で生きているんだな』と確信した。目で回りを見わたし、『まだ地球の壊滅はまだまだ』としる。口で会話を友達とする。友達の話しの内容で『こいつはもうだめだな』『こいつはまだ生きられるな』などが思いうかんでくる。そんな、ある日、山に1人で登る。星に1番近い所まで上がる。宇宙を見ながらコロリと寝っころがる。時間がたつのがわかる。目をつぶって寝むりにつく。もう起きることはないだろう。次に気がつくころは宇宙のかなたの知らない所に存在している。『宇宙 高く舞い上がる事ができるのならば、そらを失う前に一度でいいからこの青く輝く地球をながめながらひとときをすごして見たい』と言う。せめての思いをこめて、死ねたらなどとも思い、生きている。

日本の学歴社会はおかしいと思うこともある。勉強をすればするほどエリート会社に入れるが、勉強をしない奴は、貧しい生活になる。何かおかしいと思う今日このごろである。」

4  両親の意向に沿った公立高校進学

一郎は、中学校卒業後の進路について、進学することなく自衛官や大工になることを希望したが、原告ら両親からせめて高校には行くように言われたため、自衛官になるための試験のほか、本件高校及び私立旭川大学附属高校を受験し、いずれの高校も合格した。そこで、一郎は、右附属高校への進学を希望したが、原告ら両親の意向に沿って公立高校である本件高校に進学した(〔証拠略〕)。

5  本件高校入学(平成七年四月)後の状況

(一)  一郎の本件入学以後の登校状況は、別紙「甲野一郎の出欠状況」記載のとおりであり(争いがない。)、平成七年(以下、特に断りのない限り平成七年を指す。)四月一一日から五月一二日まで、欠席することなく通い、本件少年らと休憩時間や放課後に行動をともにするなど概ね親しい関係にあって、中でもFやGと仲が良かった。特に初めて友人宅に外泊したF宅においては、正座して夕食を食べたり、Fの散らかった子供部屋を進んで片づけたりするため、しっかりしつけられた礼儀正しい子供であるとFの親から評価されていた(〔証拠略〕)。

(二)  しかし、一郎は、入学当初から、授業中にガムをかんでいたり(〔証拠略〕)、ノートをとらないなど学習意欲が低く、授業中にウォークマンを聞いて注意を受けたり、風邪・頭痛等の理由でしばしば保健室を訪れて欠課することがあった(争いがない。)。

また、一郎は、改造学生服を着たかったが、原告花子が身なりを含めしつけに厳しかったことから、入学後約一か月間は殆ど毎朝、まず通常の学生服を着て自宅を出た後、J宅に寄って、持参した短ランと呼ばれる丈の短い学生服や、ボンタンと呼ばれる幅の広いズボンに着替えた上でJとともに本件高校に登校し、下校時も、J宅に寄って、通常の学生服に着替えてから帰宅していた(〔証拠略〕)。こうした登下校時の改造服への着替えはJ宅以外にも、L宅やR宅でも行っていた(〔証拠略〕)。また、一郎は、Fを自宅に泊めた際に、原告花子から、テストの点数が悪いということで一時間ほどFとは別の部屋で勉強させられたことがあり、勉強後、Fに対し、「なんでああなんだ。友達のいる前であんなことするんだ。家で落ち着くところはトイレしかない。」と言っていた(〔証拠略〕)。さらに、一郎は、Fに対して、「Fの親は子供の話も聞いてくれるし、こちらの意見もちゃんと言えるからうらやましい。」旨述べていた(〔証拠略〕)。また、一郎は、Fに対して、入学当時から時々「俺、今死んでも別に侮いないや。」などと漏らし、その度に「お前、何言ってるのよ。」とたしなめられていた(〔証拠略〕)。

(三)  ところで、本件高校は、仕方なく入学したために学習意欲に乏しく、基礎的学力や基本的生活習慣を欠いた生徒も一部に存在し、五月のいわゆるゴールデンウィーク明けころから、遅刻、欠席、授業中の私語や紙飛行機飛ばし、喫煙、教師への反抗が目立つようになり、第一学年内全体の雰囲気が悪化していった。そのため、一年A組の担任南出教諭(当時の教職経験約一一年・南出教諭証言二頁)らは、職員会議や研修会を繰り返し実施して指導のあり方について検討を重ね、個別指導を充実させたり、校舎内外の巡視に努めるなどして対応していた(〔証拠略〕)。

6  四月下旬の自転車盗

一郎は、四月下旬、本件高校をさぼって早退したJ及びQに追従して早退し、右両名とともにQの自転車で三人乗りをしていたが、これに疲れたことから自転車を盗むことを提案し、それを了承したJが民家から自転車を盗んだが、直ちに家人に見つかってしまった。その際、一郎は、Jに対し、原告ら両親に発覚するとひどく怒られるので、右犯行を否認するように懇願するとともに、担任の南出教諭に対しても、「自分は盗んでいない。」と強く言い張った。そのためJも当初は犯行を否認していたが、当の一郎自身が右犯行を認めたことから、結局J及びQも犯行を認めるに至った(〔証拠略〕)。

7  五月一二日のおにぎり暴行事件

五月一二日の昼食時間に、誰かがA(一年A組)のおにぎりを取って投げつけ言い合いになったことに端を発して、O、J及びDがAを蹴るなどの暴行を加え、さらに同日の五時限目終了後には、これに一郎ほか一名が加わって、Aを取り囲んで殴る蹴るの暴行を加え、一郎自身もAの横腹を蹴ったという事件が起こった(以下「おにぎり暴行事件」という。)しかし、一郎のみは、関係生徒らから事情聴取をしていた南出教諭らに対して、「A君が倒れかかってきたときに支えて助けただけで、殴ったり蹴ったりしてはいない。」と言い張った。そこで、本件高校教諭らは、同月一五日の職員会議等において、暴行を認めているO、J及びDほか一名については暴行を加えたことを理由として、暴行を否定していた一郎については集団で取り囲んで威圧行為をしたことを理由として、それぞれ停学とする指導処置を決め、一郎を除く四名とその保護者らは素直にこれに従い、保護者らも親として反省し、学校に協力する姿勢を示した。他方、一郎については、南出教諭が、翌一六日、一郎宅を家庭訪問して、原告花子に対し、事件のあらましと校長から指導処置の申渡しをするので翌日来校してほしい旨を伝えたが、翌一七日、一郎とともに来校した原告花子は、校長室において、停学措置を言い渡されるや、南出教諭らに対し、「自分の息子はA君をかばっていた。その場にいただけの息子を停学にするのか。」などと強く抗議し、一郎自身も事件への関与を依然否定していた。そこで、本件高校教諭らは、とりあえず自宅待機を指示した上、西田教頭と南出教諭が、同月一九日、一郎宅を家庭訪問し、一郎に対し、「もし何もしていないのに学校が指導するということになれば、間違った指導を加えることになるので、正直に言って欲しい。」旨話したが、一郎からは、「何もしていない。倒れてくるのを支えてかばっただけだ。」と言われた。そこで、西田教頭は、本人や保護者の理解が得られないまま停学措置にしたとしても教育上の効果が見込めないと判断し、「もしそうであれば申し訳ない。明日から登校して欲しい。しかし、事実が違うのであればそう言って欲しい。今後の君のために大事なことだから。」などと述べて停学措置を見送った。ところが、翌二〇日に登校した一郎は、職員室にいた中宏征教諭(生徒指導部長)を訪れ、「自分もAを蹴ろうと思って蹴った。原告花子にはまだ話していないが、自分の口から先に伝えたい。」旨述べたため、中生徒指導部長は、学校から原告花子に対する連絡は午後六時以降にすることを約束して、一郎を帰宅させた。そして、一郎は、その日の午後四時ころ、自宅にいた原告花子に電話をし、「おれがやった。それを先生に伝えたので、先生が六時に家に来るから。」と伝えたところ、原告花子から、「どうしてそんな嘘言ったの。」などとすごい剣幕で叱りつけられた(〔証拠略〕)。そこで、一郎は、自分の話を聞かずにいきなり怒り出した原告花子に腹を立て(〔証拠略〕)、右電話の後、本件高校に残っていた南出教諭に電話をかけ、「母親に電話をしたが話にならない。あんなの親でない。むかつく。こんな家出て行く。」旨述べて家出をした。南出教諭は、その直ぐ後に原告花子に電話をして、一郎との電話でのやり取りを伝えた(以上、〔証拠略〕)。

8  五月二〇日から同月二九日までの家出

一郎は、家出当日は野宿をし、翌五月二一日には友人のG宅に泊めてもらったが、中間考査の初日である翌二二日には、G(一年B組)の母親に車で送られて登校した。しかし、一郎は、原告ら両親が心配しているので自宅に戻るようにと指導した南出教諭に対し、「親がむかつく。あんなの親でない。帰りたくない。説教は聞きたくない。」などと言って、同教諭らの制止を振り切って本件高校を飛び出して行った(〔証拠略〕)。その後一郎は、同月二三日及び同月二四日も欠席して、結局中間考査を全く受けなかった。同月二五日になって一郎が授業途中から登校したので、南出教諭が父親である原告太郎に連絡を入れる一方で、一郎に対し、「とにかく家に帰って、両親と良く話をした方がいい。」と話して引き留めていたが、一郎は原告太郎が迎えに来るよりも早く本件高校から姿を消してしまった。そこで、南出教諭らは、原告太郎とともに付近を探したところ、公園にいる一郎を見つけ、原告太郎が一郎と二人でしばらく話し合ったが、一郎を自宅に連れて帰ることはできなかった。その後も、一郎は、原告らの心配をよそに、友人宅を泊まり歩くなどして家出を続けた。その間、一郎を自宅に延べ三、四日泊めたFの母親F′は、自宅に戻るように諭しても一郎が帰りたくないと言うので、原告らに電話をかけ、「今は気が動転しているので無理に連れて帰るよりも、もう少し様子を見てあげてほしい。私からも言い聞かせて説明しますから。」などと連絡を入れた上、息子のFとともに、「俺の親の顔を見ているとむかつく。」などと言う一郎の相談に乗って、親子関係について話し合った。その結果、同月二九日になってようやく一郎が自宅に戻ると言い出したことから、F′は喜んで、一郎に対し、「原告らもきっと喜ぶ。原告らの方でも考えるところがあって態度を改めているかもしれない。」などと励ました上、帰宅直前になって再び逡巡している様子の一郎に対し、「一緒に行ってあげようか。」と問いかけ、一郎から少し頭を下げて「お願いします。」と頼まれたことから、一郎を自宅まで送り届けた(以上、〔証拠略〕)。しかし、原告花子は、一〇日振りにようやく帰宅した一郎に対し、家出の理由を強く問い質し、結局叱りつけてしまった(〔証拠略〕)。

なお、一郎は、右家出中、停学中であったOの自宅を訪れ、その家族と一緒にすき焼きを御馳走になり、その晩には、泊めてほしいと頼んだところ、Oの親から、原告らが心配するだろうからとの理由で断られたが、Oの母親に対し、「本当に楽しかったです。ありがとうございます。」と礼をしてO宅を後にした(〔証拠略〕)。また、一郎は、D及びJ宅も訪れ、家出中なので泊めてほしいと頼んだが、いずれも停学中であることから断られた(〔証拠略〕)。

9  五月三〇日から六月一三日までの停学措置

一郎は、五月三〇日、南出教諭の指示に従い、原告花子とともに登校し、校長から、無期停学措置を言い渡された。右停学措置中、一郎は、ほぼ毎朝始業前の南出教諭から家庭訪問を受け、反省文を書くなどの個別指導や激励を受け、同月三一日の一郎の反省文(〔証拠略〕)には、「今回の(A)君の件については反省しています。『みんなたたいているから一回ぐらいいいか』と言う思いから横っぱらに一発入れました。こうしたあまい考えからなる『いじめ』はもうしないようにしたいです。そして、『いじめ』がなくなるように努力しながら反省して行きたいと思っています。」と記載していた。一郎の無期停学措置は、約二週間後の六月一三日に解除され、学校に復帰した一郎と、Dをはじめ本件少年らとの間で、特にいさかいが起きそうな険悪な雰囲気というものはなかった(〔証拠略〕)。

10  停学措置解除(六月一三日)から六月一八日まで

もっとも、停学措置解除後も一郎の授業態度は相変わらずで、授業中にウォークマンを聞いて教師から怒られたりするなど授業に身が入っていなかった(〔証拠略〕)。そして、一郎は、母親とのいさかいにより、六月一五日から同月二〇日まで再び家出をし、F宅など友人宅を泊まり歩いていた(〔証拠略〕)。

11  六月一八日

一郎は、六月一八日、L宅に遊びに行き、「親の顔も見たくない。こんな親死ねばいい。」などと家出の理由を述べて泊まらせてくれるよう頼んだが、Lの親がうるさいとのことで夜中にはL宅を後にしたが、「明日学校に来いよ。」とLから言われたので、翌朝制服を借りに行くと答えた(〔証拠略〕)。そして、一郎は、その日、一人で下宿住いをしていた同級生のQ宅に泊まった(〔証拠略〕)。

12  本件第一暴行(六月一九日)

一郎は、翌六月一九日朝、L宅を訪れ、Lの制服を借りて一緒に登校したが、直ぐに下校し欠席した(〔証拠略〕)。Lは、授業終了後、校門の前で一郎を探している原告花子に出会って声を掛けると、原告花子から、一郎を見つけたら無理矢理にでもいいから帰してくれるようにと頼まれた(〔証拠略〕)。

O、D、L及びFは、同日午後九時ころ、Qの下宿で一緒に遊び、同日午後一〇時ころにその下宿を出たところ、少し離れたところに自転車に乗って、Oらの方を見ている一郎を見つけた。Oは、好意を寄せていたQのことを以前に一郎に相談して俺が何とかしてやると言われていたにもかかわらず、一郎が昨晩Q宅に宿泊するなどし、Qを横取りしたような格好になったことに憤慨、嫉妬していたことから、一郎のところまで走って行って捕まえ、近くにある旭川市春光一区八条二七一番地所在の児童公園まで連れて行き、Oら四人で取り囲んだ(〔証拠略〕)。そして、Dも、一郎が当初一人だけおにぎり暴行事件への関与を否認して自分達を裏切ったことに憤慨していたため、一郎の腹部を膝で三回蹴り(〔証拠略〕)、次いでOが、その顔面や腹部を何度も殴ったり蹴ったりした(〔証拠略〕)。また、Lは、幼いころ両親が離婚したため、実母については名前さえ知らないのに、両親の揃っている一郎が入学当初から親の顔を見るのも嫌だとか、家にいてもつまらないなどと不満を言っているのを聞いて釈然としない思いを抱いていたところ、右暴行現場において最初はOらを制止し、原告花子から依頼されたとおりに早く帰宅するよう一郎に忠告していたのに、「帰らん。親がむかつく。」などと言われたことに腹を立て、その腹部を三回殴打し、膝で二、三回蹴る暴行を加えた(〔証拠略〕)。その後、Dが、一郎の背中に跳び上がって蹴る暴行を加え、とりあえずその場は収まった。Fは、G宅に泊まると言って歩き出した一郎について行き、同じく早く帰宅するよう忠告したが、「あんな親死ねばいいんだ。」と言われたことから、同じように親への不満ばかり繰り返す一郎に腹が立ち、同日午後一〇時四〇分ころ、右児童公園から少し離れた旭川市春光二区七条一一三番地の一において、その顔面を二回殴る暴行を加え、倒れた一郎に対し、「立て。お前何てこと言うんだ。」と怒った(〔証拠略〕)。以上の各暴行の結果、一郎は、顔面が腫れ、背中に傷を負い、腕、腰の上付近及び大腿部に青い痣ができた(〔証拠略〕)。

その後、一郎は、FとともにG宅に至ったが、既に電気が消え寝静まっている様子であったため、「家には帰りたくないので野宿する。」と言ったところ、一郎の怪我を心配したFからF宅への宿泊を勧められたため、F宅に泊まることとし、怪我を見て尋ねてきたF′に対しては、「中学時代の友達と喧嘩をしたんだ。」と取り繕い、Fもこれに合わせて返答した。そこで、F′は、子供同士の喧嘩であると考え、一郎の怪我も出血がなく病院に行くようなものでもなかったため、消毒液を付ける態度の処置で済ませ、原告らにも特に連絡をしなかった(〔証拠略〕)。

なお、原告らは、本件第一暴行について、一郎がゴミ箱で殴られたとか、一郎の自転車を壊された旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

13  六月二〇日(本件第一暴行の翌日)から七月一四日まで

一郎は、翌六月二〇日、家出を終えて自宅に戻り、原告花子から怪我の理由を聞かれたので、酔っ払いに絡まれたというような説明をした(〔証拠略〕)。原告らは、嘘の説明をしているとは思ったが子供同士の喧嘩の類であると考え、さらにその数日後には一郎から本件高校の生徒が加害者であることを聞いたが、子供同士のいざこざに親が口を挟むのもどうかと考えたため、本件高校や警察に報告しなかった(〔証拠略〕)。また、原告花子は、一郎が友人との関係でうまくいっていないのではないかという心配もしなかった(〔証拠略〕)。

本件第一暴行から数日後、一郎は、F宅を訪れた際、Fに対し、「俺、殴られてもしょうがない。」と詫びたので、Fも「俺もちょっとやりすぎた。」と言って、一郎に自分を殴らせてお相子とした(〔証拠略〕)。

本件第一暴行後の一郎の出席状況は、別紙「甲野一郎の出欠状況」記載のとおりであり、六月二一日から七月一四日までの要登校日一九日間のうち二日間だけ欠席し、他の一七日間は出席しており、六月二八日から同月三〇日まで行われた宿泊研修にも参加したほか、七月二日から同月六日にかけて行われた期末考査も全て受けており(争いがない。)、本件第一暴行による登校拒否症状はみられなかった。

14  本件第二暴行(七月一四日)

(一)  Pは、七月一三日、Dから、一郎が自分のことを「最近おだっている(調子に乗っている)。」などと言いふらしていると聞き、自分がQと最近仲良くしていることに一郎が嫉妬しているのだろうと推察したものの、右悪口の理由を一郎本人から確認したくなり、翌一四日午前八時三〇分ころ、教室において、一郎に話しかけると、一郎の方から、トイレに行こうと言われ、本件高校一階男子トイレに至った(〔証拠略〕)。そして、Pが、悪口の理由を問い質すと、一郎から「むかつく。」と言われたため、「何むかつくのよ。」と言い返したところ、一郎から先に胸ぐらを掴まれ、左肩付近を殴られそうになったため、それを払いのけて一郎の胸付近を殴り、お互いに五、六回位殴り合った後、一旦これを止めて話合いを始めた。そこへ、R、J、O及びFが同トイレに入ってきた(〔証拠略〕)。そこで、Rも、自分としてはこれまで一郎をかばって助けてきたつもりであるのに、一郎が自分のことを生意気であると言いふらしている旨をDから聞き、また一郎がLのコンパクトディスクやFの楽譜を盗んだことに腹を立て、一郎に対し、「お前、陰で俺のこと何か言っているのか。」と問い詰めたところ、一郎が何か隠しているような曖昧な態度であったことからかっとなって、その顔面を一回殴った。そうすると、一郎が悪口や盗みのことを認めたため、さらに立腹して一郎の腹部を二回位蹴った(〔証拠略〕)。次いで、一郎がむかつくと言っていたと聞き及んでいたJが、「お前、何悪口言ってんのよ。」と言って、一郎の顔面を一回殴打し、「お前、人の物盗るなよ。」と言って左手拳で左肩を押した(〔証拠略〕)。さらに、一郎がPやRの悪口を言っていると前日にDから聞いていたOも、悪口や盗みに腹を立て、一郎の顔面を一、二回殴打し、腹部等を二、三回蹴った。(〔証拠略〕)。その後、一郎が悪口や盗みを謝ったため、P、R、J及びOの四名による本件第二暴行は、およそ一〇分間で終了した。一郎は、これらの暴行により、顔が腫れ上がり、耳付近に痣ができた(〔証拠略〕)。なお、右第二暴行現場には、Fのほか、一郎が悪口を言いふらしていると他の少年らに伝えていたDもいたが、いずれも一郎に手を出していなかった。

(二)  一郎は、同日二時限目終了後、職員室にいた隣の一年B組の担任山根教諭(当時の教職経験約一〇年・山根教諭証言一頁)に対し、「体調が悪いので早退したい。南出先生に言っといて。」と告げた。これに対し、山根教諭は、一郎の目の下の頬の辺りが腫れていたことから、「どうしたの。何かあったの。誰かに殴られたの。」と尋ねた。しかし、一郎は、「いや、今は言えない。とにかく今日は帰る。」とだけ答え、迎えに来た原告花子とともに帰宅した(〔証拠略〕)。

(三)  山根教諭から連絡を受けた南出教諭は、同日午後六時三〇分すぎ、一郎宅を訪問し、一郎や原告らを含め四人で話し合い、一郎から加害生徒の氏名を聞き出そうとした。しかし、一郎は、「ちくったと言って家に来るから言いたくない。」と言って加害生徒の氏名を明らかにしなかった(〔証拠略〕)。南出教諭は、最近の生徒は明確な証拠がなければ問題行動を否定しがちな傾向にあることから、「加害生徒を明らかにしないと調べようがないし、加害生徒に対して強い指導ができない。」などと説得したが、一郎の態度を変えることができなかった。そのため、南出教諭や原告らは、一郎が本件高校内で本件高校の生徒から暴行を受けたという以上にその詳しい事情を把握することができなかった。

なお、南出教諭は、帰り際に、原告花子から、以前にも一郎の足等に黄色い痣があった旨を聞いたが、その痣が暴行によるものかどうかという話もなく、その具体的日時も聞かされなかったことから、そのまま帰宅した(〔証拠略〕)。

15  七月一五日(本件第二暴行の翌日)から同月二五日(第一学期の終業式)まで

南出教諭は、七月一五日朝、原告花子から、一郎が登校できない旨の電話連絡を受けたため、やむを得ない旨返答した。そして、南出教諭は、同日、本件高校第一学年の担当教諭らに対し、校内で暴力事件のあったこと、被害者が一郎であることなどを連絡し、同月一八日までには校長や教頭を含め全体に報告し、生徒を注意して観察していくことにした(〔証拠略〕)。

一郎が同月一七日(月曜日)に一旦登校しながら授業に出ないで下校してしまったため、南出教諭は、一郎宅に電話をして、一郎に登校するよう促すとともに、同月二一日から行われる学校祭での仮装行列について、級友が心配して一郎の衣装を作ってくれていることを伝えた。本件高校では、同日、同月一四日に行われた成績会議の結果を受けて、成績や出席日数に問題のある生徒の保護者との面談を実施し、原告花子にも来校を求めた(争いがない。)その際、南出教諭らは、原告花子に対し、一郎の欠席日数が多く、期末考査の成績も不振であるから、今後は欠席せずに登校し、夏期休暇中には英語と体育の補習を受ける必要があることを説明した(争いがない。)。また、南出教諭は、原告花子から同月一四日のことを聞いたりしたが、一郎の態度に変化はなかったとのことであった(〔証拠略〕)。

第一学期の終業式が行われた同月二五日には、原告花子から「一郎を学校に向かわせた。」旨の連絡が本件学校に入ったが(弁論の全趣旨)、一郎は、登校せず、結局、本件第二暴行のあった翌日(同月一五日)から第一学期終了(同月二五日)まで全て欠席した(争いがない。)。なお、一郎は、本件第二暴行を受けてから一週間以内の間に、F宅において、加害生徒であるはずのFやRらと一緒に遊んだことが少なくとも二回あった(〔証拠略〕)。

16  夏期休暇中の補習

夏期休暇中の七月二七日、一郎は、原告太郎に送られて、体育の補習(約七・五キロメートルのマラソン)に参加した(争いがない。)。Oもこれに参加し、一郎とも普段と変わらない調子で二言、三言言葉を交わした(〔証拠略〕)。Fも、右二人に付き合って自転車で伴走し、携帯している水筒の水をやったり、最後尾を走る一郎を補習の趣旨に反して自転車の後ろに乗せるなどして助けた(〔証拠略〕)。しかし、一郎は、同月二八日に行われた英語の補習を欠席したため、南出教諭から、補習には出席しなければならないことや明日も補習があることなどを電話で説諭された。一郎は、翌二九日の英語の補習には出席したものの、担当教諭にプリントだけ欲しいと述べ、補習の受講を勧める英語担当教諭に対し、「いいわ。」と言って下校した。八月二日に行われた二回目の体育の補習には参加し、体育担当教諭とともに約三・五キロメートルを走り、体育の補習を終えた(〔証拠略〕)。

17  夏期休暇中の様子

補習受講後の一郎の夏期休暇中の経過については、以下のとおり、一郎の日記(〔証拠略〕)にその独特な心情が吐露されている。

(一郎の八月一七日の日記)(〔証拠略〕)

「P・M 10:30

どの国の人も『日本は平和だ』なんて事をいっているがそれは戦争、テロ、他がないだけでそれ以外は、他の国とたいして、かわりはしない。日本の中でも、殺人、イジメ、ごうとう…数えてみればきりがないほどたくさんでてくる。その中でもイジメは、最近、話題になった。1人の少年がイジメに合い、お金をとられ、そして、首をつった。あれから数十人とその少年の後をおって死んでいった人たちがいる。その人々は何を思って、どんな苦しみを感じていったか今の俺には、それがわかるような気がした。『イジメをやめよう』とか何とか大人どもがやっているが、そんなことは、はっきりいって無意味である。先公どもは、イジメられている奴がいても、イジメている奴が恐くてなにもできない。それが現実だ。そして、また1人また1人と生きることがつかれた奴は自殺をしていく。大人どもは死人がでてから気づき始める。そんな大人どもがこんな時なんて言うか。『自殺なんてしたら、おまえは負け犬だ!』なんてことを必ずと言っていいほどくちばしる。てめェらはそんなこと言う前に自分の子供の『きき』ぐらい気づいてやれよ!死んでいく奴らは親にも先公にもいえず、だだ1人苦しみながら生きる気力を失い、死んでいくんだ。こんなこと言っている自分も死んでいく仲間になりそうだ。よくいるよな。親、先公にイジメの事をはなしても親、先公は何もしてくれず、学校すらかえてもくれない。そんな奴らの子供はたいてい、がまんできずにこの世をさっていく。

人間なんて信じるものではない。うらぎり合うため生まれてきた。信じたものが負けだ。そして最後にはうらぎられる。先に殺らなければ、殺られる。これと同じだ。先にうらぎらなきゃ、自分が気(ママ)づつく。

俺は、Iさんとつきあっていたが、途中、友達の好きなKさんの事が好きになった。そして、Iさんは他の人の事が好きになりかけていたから俺はIさんと話し合い、わかれ、Kさんに告白をした。俺はその日Kさんの家に泊まった。つぎの日の夜、俺は4人に囲まれた。1人目の言いぶんは、ただKさんに告白をした、本当にただそれだけで 2人目はIさんとわかれたこと。3人目はなんとなく。4人目は心配していた。こんだけのくだらないことで俺は半殺しにされた。Kさんに告白したのは、俺の他に5~6人いたのになぜ俺だけが…Iさんとわかれたのは、ちゃんと話し合ったのになんでてめェェェがでてくる?

なんとなくでなんでなぐられなきゃあかんのや。4人目は俺が心配をかけたと思ったから別にいい。他の3人はふざけんな

それから、夏体(ママ)みに入るまで、いろいろな事で半殺しにされてきた。例をだせば、Hくんがつき合っていることをある人に言ったら、なんで『ちくるんだよ』って言われトイレで半殺しにされた。知られてこまるんだったらつき合うな!俺が好きだったKさんを最近まで信じていたのに、うらぎられた。やっぱり人は信じるものじゃない。『信じる者はすくわれる』ケッ ふざけんな。『信じる者はバカになる』のまちがいじゃないのか。今の俺に信じる者はいない。みんな、俺の『てき』だ。ただ唯一信じられる者は自分だけだ。このごろ、『自分の目的は終わった』と思う時がある。この世に生きている役目はなくなった。いろんなことが頭の中をつっ走る。 P・M 11:35

P・M 11:55

もう、学校には行きたくない。2学期中ず~と半殺しにされるのはごめんだ。たのしいこともない学校にいくぐらいなら死んだほうがマシだ。

俺ってなんか女に縁がないみたいだ。中学の時7回ふられた。そのうち4回は同じ人。こんなこと書いておもしろくもない。もう、この世でやりたいことはない。ただ、1度でいいから安達祐実と面と向かって話しがしてみたかった。そのために、『新人タレント募集』におうぼしたけど、だめだったらしい。ここ1週間ぐらい夜中2:00を過ぎないと寝れなくなった。親が寝てからひまになったら夜星をながめて『死んだら、何に生まれかわるんだろうな』なんてことを考えている。もう、笑えなくなった。笑うことを忘れてしまったような気がする。だから友達にも『目がすわっている』などと言われる。たまにアーミーナイフを見て『これ、ささったらいてーだろうな』とかつぶやいているって友達にいわれた時、自分で『俺、おかしいんじゃないか』と思った。

ある日『俺は何で生きているんだ』と思った時があった。そんとき、深く考えこんだら、また疑問に思った。『生きている目的はなんだ』あれからずっと今まで考えていたがわからなかった。俺が死ねば广高は有名になるな。そーいえば中学時も半殺しにされたことがあるな。あの時はただむかつくってだけで、やられたな。まっ昔のことはいいとして、ああ単車にも乗りたかったな。GPZ400で200kmぶっとばして見たかったな。」

(八月一八日の日記)

「A・M 0:40(※時間だけ記載されており日記はない。)

P・M 6:30

今、ふっと『戦争で死ねたらなぁ』と思った。俺の友達で、米軍に入るために勉強している奴がいる。そいつを見ているとなぜか、うらやましく見えてきて、こいつならできる。そんな感じがする。まだ、死ねない。だけど、くたばりそうだ。もし、今の俺にバクダンをくれる人がいれば何もかも、学校、クラスメートいろんな奴をぶっ飛ばすだろう。今はそんな気分だ。もし、今の俺をなぐる奴がいるなら、そいつは、俺の手で殺す!

空に光る全ての星を

悪と化した龍が支配する。

神までが悪と化し

この世が闇につつまれる。 P・M 6:50

P・M 11:45

じぶんはわがままだ。俺のムカつくと思う奴等が全て消えされば、生きていても多少は、おもしろいかもしれないが、そんなことはまずない。だから俺が消えるしか方法はない。自分が自分でなくなる事が、ひんぱんに多い。なぜ俺はここにいるんだ。ここはどこだ。なんで俺はこいつと話しをしているんだ。何もかもが自分でもわからない内に事が進んでいる。そんな時、自分は多重人格なのではないか、そんなうたがいをもつ。こんな俺はもう物の化(ママ)になってしまっているのではないだろうか。 P・M 11:58」

(八月一九日の日記)

「P・M 3:30

昨日はよくねむれた。今日は晴れ。薬を買いに行こうと思う。けして『まやく』ではない。では今から行ってくる。 P・M 3:35」

(八月二〇日の日記)

「P・M 1:10

久しぶりに笑ったような気がする。学校の始業式は22日だ。21日の夜にはこの世を発とうと思う。何か不安になってきた。この世に『みれん』はないけど、もし薬を大量に飲んでも助かってしまったら…と思うと恐い。昨日、Nくん家族と焼肉をした。なんだか家族のあたたかさを感じた。俺のふるえを誰か止めてくれ。こんな感じは始(ママ)めてだ。でも、もうこんな感じをすることもなくなった。俺のけっしんはついた。これでたすかっても俺は、何度もいろんな薬をためすだろう。なにもないように毎日を送るのにも、少し疲れてきた。俺みたいな人間なんて、どのくらいの価買(ママ)があるんだろうな。『人間は、金では、買えない』なんて言う人はいるけどこの世に金で買えないのは人じゃない。ちょっとくさいけど俺は愛だと思う。愛は人を豊にし、そして幸福にみちびく。俺の人情は、愛のため くれてやります この命だったが、今、思えばばからしくなってきた。やっぱり人間は金で買える。金に目がくらむ奴なんかくさるほどこの世にはいる。 P・M 2:15

P・M 4:15

今、かみを切ってきた。定休日なのに、顔見しりだったのでやってくれた。なんか頭がすっきりした。生きていくのに疲れてきたから、今度は霊にでもなって遊ぼうかな。それとも、誰かをのろってやるかな。やっぱりのろうんだったら广高のMくんだよな。Mくん、ゆうれいが出てきたら、それは、俺だと思ってくれ。あと、守護霊にもなって見たいな。でも、守護霊はいい奴しかなれないからだめか。昨日の夜、俺は空を飛んでいた。星空を、ふっと月を見た時、俺と同じく空を飛んでた奴がいた。話しかけようと思っていたけどかわいい寝顔でねていたからやめた。 P・M?(ママ)」

(八月二一日の日記)

「A・M 1:00

なかなか寝れない。また、空を飛べるんじゃないかと思ってどき×2している。俺は遺書を書く気は、ない。失敗して助かったら、バカらしくなるから。だけど、自殺をするわけではない。もう自分の電地(ママ)がきれるころだから、ただ自分で電源を切るだけだ。電源さえ切ればもう恐い思い、半殺しにされることはなくなる。だけど、笑うこともできなくなる。そして、俺は『じごく』に落ちる。友達の話しではたいてい16、17歳の子が自殺は多い。でも、最後に『じごく』と言う所をたいけんできるんだから まっいっか。でもなんとなく不安だ。人間世界では『じごく』には鬼がいると言う。鬼にもあって見たいけど、天使にもあって見たい気がする。俺が服用して見ようとしている薬は『かぜにはルルAじょう』でしられているルルAじょう80つぶと、精神安定ざい10つぶぐらいを飲んでみようと思う。最初は睡眠薬を大量に服用しようと思ったけど集めるのもたいへんだけど、金がたりないからやめた。 A・M 1:20」

17  始業式前日(八月二一日)の家庭訪問

南出教諭は、第二学期の始業式前日である八月二一日、一郎宅を家庭訪問し、出席日数が足りないことや留年の危険性等について説明をした上、一郎に対し、第二学期から登校するか確認したところ、一郎は「明日から行きます。」と笑顔で答え(〔証拠略〕)、原告らも一郎を登校させると述べた(争いがない。)。

(八月二一日の日記)

「P・M 4:30

今日、朝からエンジョイしている。昨日かおとつい親から『友達に金を返すから』と言って金をもらったのはうそです。薬を買いました。16になるまでいろいろと親にめんどうをかけてきました。しかし、これからはかけることもなくなるはずです。『モデルになる』と言う現実ばなれした言葉は言うこともなくなるでしょう。 P・M 4:50

P・M 8:20

本をいろんな所へうってきた。が…友達のおばさんに売ってしまった。ごめんなさい。俺の事でうだ×2とうるさいけど、そこまで言うことないのにほんとうるさいね。いつかぶっ殺してやるからな。木刀で頭をぶんなぐってやる。くそやろう。 P・M 8:24

P・M 10:00

ついにきたこの日 たかがルルA錠80 安定ざい30で死ねるのかなぁー

P・M 11:10

死が近づいてきていると言うのに、俺はのんびりと薬を食べている。死ねるかはわからない。だから実験をしてみようと思った。やっぱり体験しなければわからないことは、いっぱいある。今も頭の中を思い出の一部×2がよこぎっていく。しかし、なぜか名前も顔も忘れてしまっている人が頭にうかぶ。誰だろう。また6つ飲んだ。友達に話してみたら、『ルルA錠80つぶ飲んだら一生かぜひかないんじゃないか ハハハ (笑)』と言われた。でも安定済(ママ)30つぶをそのあとに飲むからたぶん大丈夫だろう。その前に110つぶ飲みきれるかなぁ~失敗だハハハ (笑) まだP・M11:20だ。時間がたつのが遅く感じる。いつもならこの時間帯ならピン×2しているのに、なんだか今日はやけにねむく感じる日だ。 P・M11:25

P・M11:45

よく薬をたくさん飲むのはつらいと言うけど確かにつらいまだルルを30つぶぐらいしか飲んでいないけどはきけがする。ウーロン茶で飲んでいるからかな?クスリやのおばさんごめんなさい。

12:00今の状態 こどうがはやくなってき気持ちが悪い。あの美えいの景色が忘れられない。なんとなく、つらくなる。

22日1:00 頭がぼーとしてきた。

なんだか頭があつい。

だめだもうくたばる。

今から安定済(ママ)をのむ。

今はもうこれ以上書けない

手がふるえて書けない。

苦しい。頭がいたい。

もうだめだ。目がかすむ…」

18  始業式(八月二二日)(〔証拠略〕)

始業式のある八月二二日朝、一郎は、汗だくで苦しそうな様子であり、原告花子に対し、お願いだから休ませてくれと言った。そこで、原告花子は、南出教諭に連絡して、その旨伝えると、南出教諭から、同日から同月二四日までは学期始考査があり、それを休んで追試験を受けるためには診断書が必要であるとの説明を受けた。

(八月二二日の日記)

「P・M1:27

昨日の夜から今日の朝にかけて少しも寝れなかった。頭痛、はきけ手のふるえといろ×2なっていて、けっきょく今日は学校を休み、朝から寝ようとしているけど寝れない。変なことに、昨日の夜から缶ジュース2~3本飲んでいるのに、ションベンが一滴もでない。なんだか変な気がする。 P・M1:32」

19  八月二三日(〔証拠略〕)

原告花子は、翌八月二三日、加療三日間を要する「神経性胃炎急性」と記載された医師の診断書を持参して本件高校に赴き、南出教諭に対し、「いくら言っても、学校に行かないんです。それで留年も覚悟しています。転校も考えているので、そのことを教えて欲しい。」旨述べた。これに対して、南出教諭は、一家転住の場合や特別の事情のない限り、同一学区内での転校は難しい旨を説明した。

この点について、原告らは、「原告花子が、南出教諭に対し、一郎が精神的に参っていると伝えると、南出教諭もそのように思うと述べ、南出教諭の方から転校という方法があると切り出した。」旨主張し、原告花子もこれに沿った供述をするが(〔証拠略〕)、制度的に転校が困難であることを知っていた南出教諭の方から転校の話を持ち出すことは考えにくいことからすると、原告らの右主張・供述をたやすく採用することができない。

(八月二四日の日記)

「P・M2:55

またSchanから手紙がきた。これで2まい目だ。そして、また、俺も手紙を出した。そしたら、また、手紙がくるだろう。俺はそれをまっている。 P・M 3:00」

(八月二五日の日記)

「P・M5:40

ここ何日か学校をさぼり家でじっとしている。学校をどうするのかはまだ何も考えてない。死ぬつもりで飲んだ薬なのに、死ねなかった。だから、その後の事は何も考えてなかった。また、何かの薬に挑戦しようと思っている。だれか、おしえてくて(ママ)俺のことを、自分でも、何がなんだか全々(ママ)わからないんだ。1日×2がわけもわからず、ぼーっとしたまますぎていく。今日は雨が降った。生きている意味もわからず、自分は生きている。時代の闇に包まれた何かを置きざりにして、育った。どこかで忘れてた、もっと大切な何かを、だれか教えてくれ。かぎりない自由へ もうもどれはしない。もうはずれることできない。瞳の奥は何をいいたいのか。本当の奥底をのぞいてみたい。自分が一番はばたける自由の世界で生きて行きたい。 P・M 6:05」

(八月二六日の日記)

「A・M 10:44

今日は映画(耳をすませば)を母さんと見にいく。家を出て、家につくまでに知り合いに合(ママ)いませんように。パン×2 A・M 10:50」

20  本件自殺前日(八月二七日)(〔証拠略〕)

原告花子は、八月二七日午後九時ころ、一郎に対し、「どうしても学校に行けないのか。今度こそ壁を乗り越えてみないか。壁を乗り越えられなかったら駄目だ。」などと言い、原告太郎も、「もっと強く生きなさい。」などと言ったが、一郎は、「今度はどうしても駄目だ。今度は乗り越えられない。」と答えた。また、原告花子が、一郎に対し、「転校すれば登校できるのか。」尋ねたところ、一郎は「うん。」と答えた。しかし、原告太郎が転校に反対し、その話はまとまらなかった(〔証拠略〕)。

なお、一郎は、前記のとおり保護観察に付されて以来、月二回の割合で保護司と面会しており、この日も保護司の来訪を受けたが(〔証拠略〕)、一郎の保護観察の成績は良好とされていた(〔証拠略〕)。

(八月二七日の日記)

「P・M 10:40

父に語る。船は2隻ともしずむ、で、かけは俺の負け。2度目の実験にかかろうとしている。薬はかくりつが少ないから今度はかくりつの多い『首つり』をして見ようと思う。首つりは最初は多少苦しいけどそのあとは『楽』らしいと友達がいっていたからそれに決めた。明日、首つり用のひもをさがしてくる。店に首つり用のひもは売っていないかぁ。もう、手にいれたいものはないから、まっいっか 广栖高等学校に行かせられるぐらいなら電源、切ったほうがマシだ! P・M 10:55」

21  本件自殺当日(八月二八日)

原告花子は、本件自殺当日の八月二八日朝、一郎に対し、どうせ学校を休んでいるのであれば加害者の名前を言ってしまえばと言ったところ、一郎は、加害者として本件少年らの氏名を初めて明らかにした。また、一郎は、原告花子に対し、自分の首に紐を巻き付け、「どこまで絞めたら気絶するかな。」と聞いてきたが、原告花子は、冗談と思って気に留めず、同日午前一〇時ころ、パートに出かけた(〔証拠略〕)。

(八月二八日の日記)

「A・M 8:10

今日がきた。明日はもうこない。全部ちくってやった。ざまみろ、Mくんかくごしとけよぜったいのろってやる。そして、あさってもこない。もう、朝日も見れない。もう、Kさんと話しもできない。何もおこらなかった、あの夜に俺は確かにKが好きだった。ほんのひとときでも、自分がやっていけたことをうれしく思う。星空を見ても窓にうつる素顔はなかった。たまには肩を並べて飲もうよ。何も起こらない夜に何かを叫んで自分を壊せ! A・M 8:25

A:M 9:10

本当は働きたかった。ちょっとだけH・Iがあこがれだった。変な意味じゃないよ。あ~早く電源切りたい。こんな、生き方は好きじゃない。今度生まれかわる時はアメリカ人がいいな。そして米軍に入って、人を殺しまくる。でもこれが俺の考えだ!『変だ』なんて言うやつはきらいだ。人には人の考えがある。『じょうしきはずれてる』なんて言われたくない。そのうち、じょうしきなんか俺がかえてやる。だいたいじょうしきってもんは、こう言うふうにやりたい、あ―言うふうにやりたいとか言う奴らが多かったからじょうしきになってしまっただけだ。俺みたいな考えの奴が多ければ、俺みたいな考えがじょうしきになっていたはずだ。たまたま考えがちがう奴がいるからってくだらねェ事ぐた×2と言うなや。 A・M 9:20

A・M 10:10

首つりなんかしてホントに死ぬのか。死ねばもうろく、生きればバカ 俺は2つのかけにでる A・M 10:10

A・M 10:30

首つりのよういができた。ひもをかしてくれた左向かいのおじさんありがとう。俺が死んだらひもは返す。つりあげる物は俺でした。ごめんなさい。さいごにQの声がききたかった もう親がかえってくるころだから電源をきる。みんなさようなら手が、恐い。」

22  本件自殺後

(一)  原告花子は、同日午後三時二〇分ころ、パートを終えて自宅に戻ったところ、首を吊っている一郎を発見した。その後、一郎の自室机から遺書が見つかり、その遺書には「俺は生きる事につかれを感じました。これをもって『生きる』と言う事からはずれさしてもらいます。では、みなさん元気で……」とあった(〔証拠略〕)。

(二)  Jは、一郎の本件自殺後、Qと電話で話す機会があったが、その際、Qは、一郎から交際を申し込まれ、これを断ったことが一郎の本件自殺の原因ではないかと気にしていた(〔証拠略〕)。

(三)  旭川地方法務局は、原告らから相談を受けたことなどから、「いじめ」による人権侵害の疑いがあるとして、本件自殺に関する調査を開始し、本件高校の校長や南出教諭から事情聴取をするなどした後、平成八年八月二六日、本件高校に対し、一郎に対する二回の暴行行為があったことは認めることができるが、「いじめ」の有無は確認することができない旨の調査結果と再発防止の要望を口頭で通知した(〔証拠略〕)。

(四)  本件訴訟において原告らから提出されている一郎の日記(〔証拠略〕)の冒頭には、「このノートは、けして、遺書ではない。書きたい時に、書きたい事を書く、ノートである。NO2」と記載されており、本件訴訟に提出されていないNO1の日記が存在していたことが推測され、南出教諭も、本件自殺後に、本件各暴行の刑事事件によって生徒らを事情聴取していた刑事から、日記はNO1とNO2の二冊がある旨を聞いていた(〔証拠略〕)。

二  一郎に対する「いじめ」の有無について

1  まず最初に、本件第一暴行がいわゆる「いじめ」の一環であるといえるかどうかについて判断するに、複数名が一郎を取り囲んで暴力を振るったというのは許されない行為ではあるけれども、前記認定のとおり、Oにおいては好意を寄せていたQ宅に一郎が宿泊したことに嫉妬、立腹して、Dにおいては一郎が当初一人だけおにぎり暴行事件への関与を否認して自分達を裏切ったことに立腹して、Lにおいては自分は幼いころに両親が離婚して実母の名前さえ知らないのに、両親の揃っている一郎が日頃から両親の悪口ばかり言っている上、一郎の母親から頼まれて家出中の一郎に帰宅を忠告しているのに、なおも親の悪口を言い続ける一郎に立腹して、Fにおいても一郎が帰宅の忠告を聞き入れずに「あんな親、死ねばいいんだ。」などと言うことに立腹して、それぞれ本件第一暴行に及んだというのであるから、それぞれ相応の動機によるものであって、反復継続性を有するものとは言い難いから、本件第一暴行を一郎に対する「いじめ」の一環であると認めることはできない。

2  また、本件第二暴行についても、Pにおいては一郎が自分の悪口を言っているという噂の真偽を問い質したところ、目の前で一郎から「むかつく。」と言われて胸ぐらを掴まれ、左肩付近を殴られそうになったことが暴行の動機であった上、その態様も一対一で互いに五、六回位殴り合うというものであるから、「いじめ」というよりは、喧嘩であるというべきである。さらに、その後にトイレに入ってきたR、J及びOについても、一郎が自分らのことを生意気であると言いふらしている旨を聞いたことや、一郎がLのコンパクトディスクやFの楽譜を盗んだことに立腹して本件第二暴行に及んだというのであるから、それぞれ相応の動機によるものであって、反復継続性を有するものとは言い難いから、Rらによる本件第二暴行もまた、これを一郎に対する「いじめ」の一環であると認めることは困難である。

3  また、原告らは、本件各暴行以外にも、「一郎が、六月中旬から、喫煙の際に見張りをさせられたり、飲食物を買いに行かされ、これらを断ると暴力を加えられるようになって、『いじめ』を受けていた。」旨主張し、証人T及び証人Uがこれに沿った証言をしているが(〔証拠略〕)、〈1〉右各証言とも見張りや使い走りがあったと抽象的に証言するだけで、その具体的場面、加害生徒、回数等については言及していないこと、〈2〉一郎に対する本件各暴行以外の暴力行為についても、T証言はこれを見ていないとし、U証言では全く触れられていないこと、〈3〉T及びUは自分らも本件少年らから「いじめ」を受けた旨証言するが、T及びUが本件高校卒業又は退学後にも本件少年らと交遊していること(右各証言)に照らすと、右「いじめ」を受けた旨の証言をたやすく採用することはできないこと、〈4〉本件少年らが、本件法廷において、一郎に対する「いじめ」を明確に否定した上、「見張りについては、一郎にしてもらったことはあったが、逆に一郎が喫煙する際には自分達(※本件少年ら)も見張りをしたことがある。飲食物を買いに行くのも同様で、いわばお互い様であった。一郎は、平成七年六月か七月ころより自分達から距離を置くようになったが、自分達の方で一郎をことさら無視したなどということはなく、どうしてなのか良く分からないが一郎の方から離れていった。」旨のほぼ一致した供述をしており、喫煙の見張りや使い走りはお互い様であったと認めることができることに照らすと、右T証言及びU証言をもって一郎に対する「いじめ」があったものと推認することはできない。

4  次に、一郎の日記(〔証拠略〕)の八月一七日欄には、「(※「いじめ」にあって自殺していった少年達が)どんな苦しみを感じていったか今の俺には、それがわかるような気がした。」、「(※本件各暴行のほか)夏休みにはいるまで、いろいろな事で半殺しにされてきた。」、「もう、学校には行きたくない。2学期中ず~と半殺しにされるのはごめんだ。たのしいこともない学校にいくぐらいなら死んだほうがマシだ。」と、八月二八日欄には「Mくん(※本件第二暴行に加担したPであると推測される。) かくごしとけよぜったいのろってやる。」と、それぞれ記載されているが、本件各暴行以外の暴力、使い走り、見張り等の「いじめ」は全く記載されていないから、結局、一郎は本件各暴行をもって「いじめ」を受けた(半殺しにされた)と表現しているものと理解するのが相当である。そして、本件各暴行が一郎への「いじめ」であると解することが困難であることは前記のとおりであるから、右一郎の日記の記載をもって、一郎に対する「いじめ」の存在を推認することはできない。

5  また、原告らは、「南出教諭と七月一七日に面談した際、一郎が『俺には休み時間がない。学校は平和ではない。使い走りや見張りをさせられている。』と言っていることを伝え、一郎への『いじめ』について抗議した。八月二三日にも右同様に伝えた。」旨主張し、原告花子がこれに沿った供述をしているが(〔証拠略〕)、原告花子自身が本件各暴行後にも、一郎の友人関係がうまくいっていないとか、「いじめ」にあっているとは思っていなかったこと(〔証拠略〕)に照らすと、使い走り等の「いじめ」を告げて抗議した旨の原告らの右主張・供述をたやすく採用することはできない。

6  そして、その他に、一郎に対する「いじめ」の存在を認めるに足りる証拠はない。

三  南出教諭の安金配慮義務違反の過失の存否について

1  教諭の安全配慮義務の内容

公立高校の教諭には学校における教育活動及びこれに密接に関連する生活関係における生徒の安全の確保に配慮すべき義務があり、特に、他の生徒の行為により生徒の生命、身体、精神、財産等に大きな悪影響ないし危害が及ぶおそれが現にあるようなときには、そのような悪影響ないし危害の発生を未然に防止するため、その事態に応じた適切な措置を講ずる義務があるということができる。

そこで、南出教諭に右安金配慮義務違反の過失があったか否かについて、順次検討する。

2  「いじめ」を防止すべき安全配慮義務を怠った過失の有無について

原告は、南出教諭には本件各暴行等の「いじめ」を防止すべき安全配慮義務を怠った過失があると主張するが、前記のとおり、一郎に対する「いじめ」の存在を認めることはできないから、「いじめ」に関する原告らの右主張部分はその前提を欠き、理由がない。

3  本件第一暴行を防止すべき安全配慮義務を怠った過失の有無について

本件第一暴行自体は、一郎の家出中の夜遅い時間帯に、本件高校から相当離れた公園等において、生徒同士の接触のなかで発生したものであって、高校における教育活動及びこれに密接に関連する生活関係の範囲内において生じたものではないから、安全配慮義務の範囲外の事故であるということができる。

また、仮に本件第一暴行の動機の一つが学校内で発生したおにぎり暴行事件にあることから本件第一暴行が学校教諭の安全配慮義務の対象となる生活関係の範囲内で生じたものと評価すべきであると仮定したとしても、学校教諭に安全配慮義務を課するためには、学校教諭が防止すべき対象行為を予見する可能性を有していたことが必要であると解すべきである。そうであるところ、本件高校教諭らは、本件第一暴行の発生時までに、一人だけ関与を否認していた一郎に不満を抱いていたDらおにぎり暴行事件の関与生徒に対する個別指導を終えており(〔証拠略〕)、一郎にも停学措置を講じたために生徒間での措置の不均衡も是正し(〔証拠略〕)、停学措置を終えた一郎とDらとの間には特に険悪な雰囲気もみられなかったというのであるから(現に一郎は、おにぎり暴行事件関与を叱責した母親への反発から家出をしている最中、O宅で夕食を御馳走になり、D宅やJ宅にも泊めてくれるよう求めている。)、南出教諭に本件第一暴行発生の予見可能性があったものとは認め難い。したがって、南出教諭に本件第一暴行の発生を防止すべき安全配慮義務を課することができず、当然にその懈怠(過失)を認めることはできない。

4  本件第二暴行を防止すべき安全配慮義務を怠った過失の有無について

本件第二暴行は、始業直前の本件高校内において発生した事件であるから、学校教諭の安全配慮義務の対象となる生活関係の範囲内で生じた事故であるといえる。そこで、過失の前提となる本件第二暴行の予見可能性の有無を検討するに、南出教諭がそれまでに把握していた事情は、一郎や原告らが本件第一暴行を本件高校に報告していなかったことから本件第一暴行発生前の前記状況とほぼ変わりがなく、むしろ一郎が別紙「甲野一郎の出欠状況」記載のとおり、六月二一日(本件第一暴行の翌々日)から七月一四日(本件第二暴行)までの要登校日一九日間のうち二日間の欠席を除く一七日間をすべて登校し、宿泊研修にも参加し、期末考査も全て受けていることからすると、従前の欠席状況が改善され、一郎がより学校生活に適応し、その友人関係にも問題がなかったと判断することができるから、南出教諭において本件第二暴行の発生を予見する可能性があったものとはいえない。

したがって、南出教諭に本件第二暴行の発生防止の安全配慮義務を認めることはできず、右安全配慮義務違反の過失もない。

右のとおり、南出教諭に本件各暴行の予見可能性がなく、本件各暴行の防止義務違反の過失もないから、右過失と本件自殺(損害)との間の相当因果関係の有無について判断するまでもなく、本件各暴行の防止義務違反の過失を理由とする原告らの損害賠償請求は、理由がない。

5  本件自殺を防止すべき義務を怠った過失の有無について

(一)  南出教諭に本件自殺を防止すべき義務を課するためには、その前提として、南出教諭が防止すべき対象行為である本件自殺を予見することが可能でなければならない。そこで、右本件自殺の予見可能性の有無について検討する。

(二)  原告らは、「近時は、『いじめ』から死に至る事例が増えており、『いじめ』と死の関係については最大限の注意を払わなければならないことは常々言われていることであるから、南出教諭が『いじめ』を把握していたのであれば、そこから被害生徒が死に至るかもしれないと予見することは十分に可能であった。」旨主張するが、一郎に対する「いじめ」の存在を認めることができないことは前記認定のとおりであるから、原告らの右主張はその前提事実を一部欠いている上、南出教諭が本件自殺防止の義務を負っていたか否かは、個々具体的な教育現場において特定の生徒の自殺を防止すべく、教諭らに具体的な行動を執るべき義務があったか否かを問題とするものであるから、一般的に生徒による自殺事例が相次いでいるから本件自殺が予見されるといったような抽象的な予見可能性だけでは足りず、事案毎の個別事情に即した具体的な予見可能性が必要であるものと解するのが相当である。

(三)  そうであるところ、右具体的な予見可能性を基礎づける事情としては、原告らも以下のような諸事情を指摘しているものと解される。

(1) 南出教諭は、本件第二暴行の直後に、原告らから、本件第一暴行の内容を知らされていた。

(2) 一郎が本件第二暴行の加害生徒名を明かすことを頑なに拒んでいた。

(3) 南出教諭は、一郎が以前にも足等に黄色い痣をつくっていたと原告花子から聞いていた。

(4) 南出教諭は、七月一七日と八月二三日に、原告花子から、一郎が以前より本件少年らから喫煙の見張りや使い走りをさせられていることや、自分には休み時間がないとか、学校には平和がないと言っていた。」旨を聞き、七月一七日には、成績も大事であるがその前に「いじめ」を解消して欲しい旨の抗議を受けていた。

(5) 一郎が本件第二暴行以降第一学期終了までの一〇日間を全て欠席した。

(6) 南出教諭は、第二学期の始業式の翌日である八月二三日、原告花子から、一郎が精神的に参っていると聞かされていた。

(四)  しかしながら、右のうち、(1)(本件第一暴行の存在の聴取)の点については、原告花子もこれに沿う供述をしているが(〔証拠略〕)、〈1〉原告花子の右供述内容は「六月一九日の件を話ししましたか。」という原告ら訴訟代理人からの質問に対して、「そのときに話をしました。」という程度の簡単なものであること、〈2〉南出教諭が明確に反対趣旨の供述をしていること(〔証拠略〕)、〈3〉原告花子は、一郎の友人関係がうまくいっていないとか、一郎が「いじめ」にあっているとは思わず、本件各暴行を深刻に受け止めてはいなかったこと(〔証拠略〕)に照らすと、原告花子が本件第二暴行直後に六月一九日の本件第一暴行を南出教諭に伝えた旨の原告らの右主張・供述をたやすく採用することはできない。

また、(2)(一郎の加害生徒名の黙秘)の点については、そのことから直ちに一郎が本件自殺に至るかもしれないと南出教諭において予見することは困難である。

さらに、(3)(以前の黄色い痣の存在の聴取)の点については、その痣が暴行によるものであったという話もなく、その具体的日時も原告花子から聞かされなかったというのであるから、南出教諭が「いじめ」を予測し、さらに本件自殺を予見することが可能であったと認めることはできない。

(4)(使い走り等の「いじめ」の存在の聴取)の点については、これを認めることができないことは、前記二項5において認定したとおりである。

(5)(一郎の本件第二暴行以降の欠席)の点については、別紙「甲野一郎の出欠状況」記載のとおり、一郎には、それ以前にも欠席・欠課が多く、一〇数日間家出していた経過もあったのであるから、前記(2)(3)と併せ考慮しても、本件第二暴行以降の欠席から本件自殺を予見することは困難である。

(6)(一郎の精神状態悪化の聴取)の点については、原告花子がこれに沿った供述をしているが(〔証拠略〕)、前記認定のとおり、原告花子自身は、一郎の精神状態が悪化していると認識して特別な対応をしたような形跡もないことに照らすと、原告らの右主張・供述をたやすく採用することはできない。

(五)  そして、〈1〉本件高校第一学年においては、おにぎり暴行事件や本件第二暴行以外に目立った暴行事件はなかったこと、〈2〉南出教諭は、一郎が夏期休暇中の体育の補習には二回とも出席し、七月二七日には、Fの自転車による伴走を受けながら、Oなど数人と一緒に約八キロメートルを走った旨を補習担任から聞いていたこと(〔証拠略〕)、〈3〉南出教諭が第二学期の始業式前日に一郎宅を家庭訪問した際には、一郎が明日は登校すると笑顔で答えていたこと、〈4〉一郎と同居していた原告ら両親は、一郎の様子を詳しく観察することが可能であり、とりわけ原告花子は、一郎が日記(〔証拠略〕)をつけていることを知っていた上(〔証拠略〕)、本件自殺当日の朝にも自分の首に紐を巻き付けている一郎から「どこまで絞めたら気絶するかな。」と聞かれたのにこれを冗談だと思って外出していたことに照らすと、同居の実母にとっても一郎の本件自殺を予見することが極めて困難であった様子が窺われること(〔証拠略〕)、他方において、〈5〉一郎以外にも多くの生徒を指導しなければならない南出教諭においては、本件自殺直前の約一か月間が主に夏期休暇中であったことから家庭訪問をする程度しか一郎と接する機会がなく、入学後間もない一郎の生活状況や資質を詳しく把握することが困難であったこと、特に、〈6〉一郎の中学校二年生時の放火事伴、中学校三年時の学級通信に寄せた文章、本件自殺直前までの日記等を考慮すると、一郎の特異な資質、死生観を垣間見ることができるけれども、南出教諭はこれらの一郎のプライバシーに関わる非行事件又は文章を知る機会がなかったこと(南出教諭証言)、その他前記認定の本件事実経過全体を総合考慮すると、南出教諭に一郎の本件自殺を予見する可能性があったものと認めることはできない。

したがって、南出教諭が教育の専門家であることを考慮しても、南出教諭に一郎の本件自殺を防止すべき義務があったとはいえず、当然に右義務違反の過失を認めることはできない。

(六)  それゆえ、本件自殺の防止義務の懈怠を理由とする原告らの損害賠償請求は、理由がない。

第四 結論

以上によれば、愛息を失った原告らの心情は察するに余りあるけれども、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 齊木教朗 裁判官 岡部純子 浅香竜太)

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